国道113号線
赤芝橋
2008.7.20

春の新緑や秋の紅葉が美しい赤芝峡です。
左右にうねった川筋によって深く刻まれた谷の奇岩と紅葉が見せ場です。
地形の険しさでは、東の片洞門地区と並ぶ険しさです。

現赤芝橋の上から撮影しています。
ここで国道は、川を一旦渡り右岸に取り付きます。
旧道はこのまま荒川右岸を玉川口地区まで辿りますが、現道は、この先すぐに横根橋で左岸に戻り、横根トンネルを抜けてすぐ、再び川を渡り右岸に戻るという経路変更を行っています。
よく見ると、画像下半分に橋脚の跡が見えています。

カメラをやや下に向けると、落下している橋が見えます。
これが、旧赤芝橋の橋桁らしいのすが、上に見えている橋脚の上流側にあります。
最初にここに来たのは20年くらい前ですが、その時は、この橋脚が旧赤芝橋と思っていました。
でも、上流側に落ちてるのは変じゃないか? とズーッと疑問に思いつつも詳しく調べることもなく、疑問は疑問のまま、放置していました。
月日が流れ、インターネットの普及により、調べ物も簡単になり、ここに見えている橋脚は、明治の橋の橋脚だということがわかりました。
つまり旧旧赤芝橋です。
そして、落ちている橋桁は、昭和の橋のもので、羽越水害の時に落橋したとのことでした。
明治の橋のほうは、木橋だったとのこと。明治の橋と昭和の橋は、別の場所に架かっていたようです。
では、この昭和の赤芝橋はどこに架かっていたのでしょうか。
現橋の下とか、いろいろ見て回ったのですが、なかなかそれらしい痕跡にたどり着けません。
いろいろ見回したところ、、、
ん、あれはなんでしょう。
落橋している橋桁の左上ですが、、、
この画像では、ちょっと分かりませんね。
岩盤に開いている丸穴や散乱している鉄筋と思われるものが、見て取れます。
ほぼ現橋の真下です。これを見て、現在の赤芝橋は、旧赤芝橋とほぼ同じ位置に架けられたのではないかと推測しました。
旧赤芝橋は、昭和42年に襲った記録的大雨による荒川の大増水により落橋しています。
こんな高いところに架かっている橋を落とすくらい増水したとは、驚異的な増水ですが、このときは広範囲に被害をもたらし、羽越水害と名付けられ、今でも人びとの記憶に深く刻まれたほどの大災害だったそうです。
このときの水害で、国道は2箇所(赤芝橋と中の橋)が落橋。米坂線は、さらに甚大で、7箇所の鉄橋が破壊され、復旧に1年を要しています。
赤芝橋については、すぐに仮橋が架けられるとともに、前後区間の改良工事も併せて行われて、この区間の新道全体としては、昭和47年に完成を見ています。
現赤芝橋自体の竣工年は、調査不足で現時点では不明です。

とここまで書いて、チョット待ったー


上の画像に、ちゃんと写っているではないですか。

ズームアップしてみると、木陰に石組みの橋台があるではないですか。

つまり旧赤芝橋は、あそこからこちら側へ向かって架かっていた訳です。

早速探索・・・と行きたいところなのですが、列車の時間が迫っていたのと、藪が濃そうだったので、落葉の頃に出直しすることにします。

赤芝橋は、現在塗り替え中とかで、その全容を見ることができません。
昭和の赤芝橋の竣工年についても不明です。
その川底に眠る外観から、他橋と同じく昭和初期の建造とは思いますが。

では、落葉時の再訪編へ

  



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